語るゴリラと本の森

本の記事をメインに旅やら日々の感想やらを書きます。

生まれ変わってでも復讐を望むかーーゴリラ、『向日葵の咲かない夏』を語る【感想・あらすじ・少しネタバレ】

 

 こんにちは、ゴリラです。今回は道尾秀介氏の『向日葵の咲かない夏』を読みました。

 

 前回『球体の蛇』の記事冒頭で少し説明しましたが、古本屋に立ち寄った際に『向日葵の咲かない夏』も購入していました。新潮文庫版の表紙はどこか湯本香樹実氏の『夏の庭』に似ていますね。物語の時期が夏に設定してあるせいかもしれませんが、読了後に考え直してみると、内容にも似通ったものがあるような気がしました。

 夏を感じさせるタイトルの本はほとんど反射的に手にとって中身を確認してしまうくらい好きです。現実だと春と秋が好みですが、物語のイベントや雰囲気作りといった点では、夏は使い勝手が良く、ドラマの生まれやすい季節なのかな、と思ってしまいます。何より、夏のあの何ともいえないノスタルジックな感じは年を取るごとに強くなっていくような気がしてなりません。

 それでは、あらすじから。

 

あらすじ

 

 夏休みを目前にした終業式の日。ミチオ君は学校に来なかったS君にプリントを届けるために彼の家を訪れる。しかし、そこでミチオ君が目にしたものは、家の中で首を吊って死んでいたS君の姿だった。急いで学校に戻り事情を先生に説明することができたが、再びS君の家を訪れるとなんと死体は忽然と消えてしまっていたのだ。

 事件から一週間後、S君は蜘蛛に生まれ変わってミチオ君の前に現れた。「殺された」と語るS君は、あるお願いを申し出る。彼の無念と願いを果たすため、ミチオ君は妹のミカと共に事件の真相を追い始めるが…。

 

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感想

 

 本書は2005年のミステリ小説大賞の候補に挙がっています。確かにそれを納得させられるだけの仕込みと構成でしたが、少なくとも楽しい気持ちで読める作品ではなかったな、というのが正直な感想です。もちろん、全ての小説がハッピーエンドであるべきなどとは思っていません。私自身が、単に読んで幸せな気持ちになれるような本が好きなだけです。どちらにせよ、読者を選ぶ作品だと思いました。

 前回『球体の蛇』で道尾氏のミステリー手法を知った気になっていましたが、そんな自分が恥ずかしい、と思うくらい今回も見事にしてやられました。道尾氏のトリックや謎を何重にも重ねる書き方は個人的に好みです。ミステリーに不慣れな身としては何度も発見と驚きがあるので読んでいて飽きることはありません。

 物語の中でいくつかは登場人物より早く気付けたトリックもありました。でも、よく考えたら主人公のミチオ君は9歳です。勝ち誇ってどうする。

 私の中でずっと疑問だったのは主人公の妹・ミカの存在です。3歳にしてはあまりに語彙が豊富な上によく喋る。これは設定にかなり無理があるのでは…と思っていましたが、終盤になってちゃんと理由が判明します。たいした推理もせずに読み進めていた私の読み手としての甘さが露見してしまっただけでした。

 本書は登場人物のほとんどに暗い過去があります。あとは過去でなくとも、S君は学校でのいじめを苦にしていましたし、ミチオ君は家庭に複雑な事情があります。彼らの担任の先生にも異常な性癖があったりするなど、キャラクターが濃すぎる上に胸焼けのしそうな描写が多いのです。しかし、それらに何一つ無駄が無く、キャラを立たせる目的と同時に物語の中できちんとその個性や背景が作用しているので、むしろ他の登場人物を主人公にした小説が読んでみたい、と思わされます。

 『向日葵の咲かない夏』では、S君を始めとして数名のキャラクターが「生まれ変わり」を経て物語に関わってきます。ミステリー作品とは大抵の場合、現実世界を舞台に話が進行します。超自然的な要素で謎を解き明かそうとする行為には、読者を失望させるリスクが伴い、急にストーリーそのものが陳腐なものに成り下がってしまう可能性があります。本書で扱われる「生まれ変わり」は、ある種宗教的かつ現実味のない現象であるにもかかわらず、それも上手く物語の中に溶かし込んでいます。恐らく、登場人物の言動や作中の事件に垣間見える異常性が、「生まれ変わり」の非現実性を中和させているではないかと思います。

 身近な人が亡くなったとき、例え現実主義の人であったとしても、霊的なものに縋ろうとする気持ちが湧き上がることがあります。そうでなければ、日常生活で目にする仏行あるいは宗教がらみの行為をなんと説明すればよいのか分からなくなりますからね。

 現実なんてものは往々にして不安定で脆く、だからこそ人智を超えた自然現象あるいは精神世界に人は縋って生きようとします。きっと本書のように人間の領域を踏み出さなければ見えてこない現実も実際にはあるのでしょう。物語終盤のミチオ君は文字通り人が変わったような振る舞いを見せますが、そこにどこか人間臭さを感じるのは、逃げ出したい現実を打破しようとする姿に見覚えがあったからだと思います。

 なんとも暗く重い話ばかりでしたが、ミステリー要素以外にも考えさせられる部分が多い作品だったと思います。是非一読を。

 

 

日常の不安を覆い隠す嘘に罪はあるか――ゴリラ、『球体の蛇』を語る【感想・あらすじ】

 こんにちは、ゴリラです。今回は道尾秀介氏の『球体の蛇』を読みました。

 

 小説の技法には「叙述トリック」や「伏線」なんかがありますが、私は特にそれらを組み合わせたうえでの終盤の「どんでん返し」が好きです。何気ない場面に配置されていた描写やアイテムたちが一気にその役割を果たす流れなどは、何度体験しても飽きません。

 今回読んだ『球体の蛇』でも、物語を通して生まれた謎が意外な形で姿を現し、読み手を驚かせようとする工夫が施されていました。

 筆者は『向日葵の咲かない夏』という小説で脚光を浴び始めたそうです。丁度、『球体の蛇』と同時に購入していたので、この記事を書き終えたら読んでみようと思います。

 それでは、あらすじから。

 

 

あらすじ

 

 高校三年生の友彦は、離婚した両親と離れて白蟻駆除のバイトをしながら暮らしていた。そんな彼に昔から家族のように接してくれる乙太郎とその娘のナオ。平穏に日々を生きる彼らには、消したくても消せないもう一人の娘・サヨの記憶があった。

 ある日、友彦はサヨによく似た雰囲気の女性を見かける。どうしても気持ちを抑えきれない友彦は、彼女の暮らす家の床下に潜り込むという悪癖を繰り返す。ところが、その家で発生した火災事故をきっかけに、友彦と彼の周囲の人間すべてが変化し始めた。

 遠い昔の嘘と、隠され続けてきた真実が幾重にも重なり、それぞれの人生は思いもよらない方向へと進んでゆく…。

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感想

 

 タイトルの不気味さと、表紙のスノードームの美しさのミスマッチに惹かれて購入しましたが、内容は文句なしに面白かったです。ミステリー小説にカテゴリーされているものの、ヒューマンドラマとしての側面も強く、良く出来た映画を観ているような気持で読み進めることができました。

 小説のキャラクターの言動というのはどうしてもフィクションを感じさせる場合がありますが、友彦も乙太郎もその他の登場人物も、背景がしっかりしている(昔馴染みの設定なので共通の過去を持っている)ので、本当にその場に生きている人間が居るかのように思えました。

 物語は全編を通して友彦視点の一人称で語られます。私は三人称の語り口の小説を読むことが多いのですが、『球体の蛇』を読んだ後では、一人称という設定すらトリックになりうるのだと気づきました。ミステリーは発見が多くて楽しいですね。過度なネタバレは避けたいのですが、友彦の視点からとらえていた現実は、必ずしも第三者の知る真実とは合致しないものでした。もしくは、それすらも嘘だったのかもしれません。

 嘘に嘘を重ね続けることで、もともとそこにあった真実に辿り着く頃には、もはや歪な形をした別の物体しか残っていませんでした。これは現実社会でもよくあることではないでしょうか。自分にとって不利益・不都合な真実を他者の目から隠すために薄膜のように頼りない嘘を被せる。それを見た人は別の形でぼやけた真実を解釈し、原型は当人しか知らないまま勘違いは続いてゆく…。これがまた人から人へ連鎖的に伝播していくと考えると恐ろしいですね。

 この小説でも、最終的には誰が本当のことを語っているのか分からなくなります。事の顛末はすべて闇の中に溶けてしまったまま、心の中に巨大なしこりを抱えて登場人物の時間は進んでゆくのです。しかし、物語の展開から考えても、こういう終わり方しかなかったのかもなぁ…と思ったりします。

 終盤の友彦の推測とナオの告白で確かにどんでん返しは起きたと思いますが、やはりそれすら素直に受け入れられないくらい複雑な気持ちにさせられる物語でした。

 『球体の蛇』では、特に最後の一行が注目されています。私もその最後の一行を読んだとき、友彦の複雑な心境、或いは諦めのようなものを感じました。考察ができるほど深く読み込んではいないのですが、「これで彼らの奇妙な物語に区切りがついたのかな」と思わされる文章でした。

 厄介な話ですが、嘘のすべてを悪と断定することはできません。場合によっては、嘘を吐き通した方が事態が好転することだってあるのです。下手に真実を知ろうとして行動を起こすと、予想もしない形で誰かが、もしくは自分自身が傷ついてしまう、なんてことも珍しくはないでしょう。知らない方がいいことなんてこの世の中にはいくらでもあって、それをはっきりさせる明確な線引きが出来ないから更に嘘で誤魔化す。ある意味では、嘘を吐くことが正しいことのように思えてきますね。

 それでは。

 

 

 

 

 

 

本当は知ってたけど、ずっと目を背けてきたこと――ゴリラ、『夢をかなえるゾウ』を語る【感想・あらすじ・少しネタバレ】

 

 こんにちは、ゴリラです。今回は『夢をかなえるゾウ』を読みました。

 

 『夢をかなえるゾウ』は水野敏也氏によって書かれ、2007年に発行された自己啓発書(あるいはビジネス書)です。

 随分前に小栗旬さん主演でドラマ化していたのが記憶に残っていますが、発行が十一年前とは…時間が経つのは早いですね。

 私はこれまで、自己啓発書といった類の書籍に対して胡散臭いものを見る目を向けていました。変にひねくれているので、どうにも「自分を変えられる!」とか、「この本で価値観が変わる!」などという売り文句が気に食わなかったのです。本読んだくらいで物の見方がそう簡単に変わるものか、とさえ思っていました。

 しかし、実際のところ、あれだけメディアに取り上げられていた『夢をかなえるゾウ』を一読してみたい、という気持ちがあったことは否定しません。

 この本を手にしたきっかけは、友人からのおすすめでした。

 実を言うと、私は現在人生の岐路に立っています。客観的に見ても結構大ピンチです。そのせいで色々と悩んでいた時に、友人が『夢をかなえるゾウ』を貸してくれました。

 感想は後に書きますので、まずはあらすじから。

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あらすじ

 

 

 主人公はどこにでもいる普通のサラリーマン。彼はこれまでにも自己啓発の本を読んだり、自らを変えようとしていたが、三日坊主の性格が災いして失敗し続けてきた。そして、会社の先輩の友人・カワシマ(実際には名刺交換しただけ)が開いたパーティーに出席した彼は、そこで有名人やアイドルの友達が談笑しているのを目の当たりにし、自分の住んでいる世界との差を痛感する。その夜、彼は泥酔したままインド旅行で買った置き物に「人生を変えたい」と泣き叫ぶと、次の朝、枕元に関西弁を話す謎の生物が。それは置き物から化けて出てきた神様・ガネーシャであった。主人公はガネーシャに振り回されながらも、夢を成すためにガネーシャの課題を行うことになる。

Wikipediaより引用)

 

 

 

感想

 

 結論から言って、もっと早く読んでおけばよかった、と思わされる本でした。文体は非常に分かりやすく、読書に慣れていない人でも説明がスルスル頭の中に入ってきます。特に、ガネーシャが課題を出す際にちょくちょく例え話を挟み込むのですが、それがユーモア成分たっぷりで、「なるほど」と納得しつつも楽しみながら読むことができます。

 著者が延々と持論を語るタイプの自己啓発書とは違い、『夢をかなえるゾウ』はストーリー仕立てで読者に語りかけてきます。キャラクター作りに関しても、インドの神様であるガネーシャが関西弁を使うなど、より親しみを沸かせるような設定になっています。また、主人公の男性の行動には、私たちが一度は体験したことのある事例が含まれていて、「あぁ、こんなことあったな」と共感できる場面があるのも本書の魅力の一つです。

 ガネーシャが毎日出す課題は、少し面倒なものもありますが、誰にでもできることです。例えば、「靴を磨く」、「トイレ掃除をする」、「自分の夢を人に語る」、「感謝する」など、一見してやろうと思えばできそうな課題ばかりですよね。

 しかし、誰にでもできるからこそやらないと考えてしまうのが人間です。世界的に有名な偉業を成し遂げた人物は、こうした当たり前にできることを気の遠くなるような時間と溢れる情熱を注ぎこんで実践してきたのです。

 それで夢が叶うのならやってやろうと思う人も多いでしょう。しかし、大抵の人は何らかの結果が出る前にあきらめてしまいます。なぜでしょうか。

 やはり、変化を求める人とは基本的に劇的な変化を、受動的な姿勢で待ち構えていることが原因だと思われます。思い描くことがあっても、なかなか自分から実行に移さない。デメリットや失うもののことばかり考えて、挑戦の前に諦めてしまう、もしくは、途中で投げ出してしまう。この点をガネーシャが指摘したとき、まさに自分のことを言われているような気持になりました。実際そうなんですけどね。

 ガネーシャ曰く、夢を叶える材料は日常生活の中で発見できるそうです。課題に取り組むうちに気づけるようなこと、見落としていたこと、目をそらしていたこと。これらの一つ一つに向き合うことで少しづつ霧が晴れるように、自分の進む先が見えてくるそうです。

 ガネーシャの最後の課題は「やらず後悔していることを今日からやる」でした。結局はこれに尽きるのだと思います。自分の行動や意志をコントロールできるのは自分しかいないのですから、動き出さなければ何も変わりません。やらない理由を探すよりは、やってみて何か新しい発見をする方が何倍も有益ですからね。

 今更な時期にこの本を読みましたが、むしろ今読めてよかったと思っています。私が現在悩み事や不安に苛まれていなければ、この本を読んでも得るものは少なかったでしょう。具体的な解決策や対処法が頭に浮かんだわけではありませんが、目の前にずっとあった小さなステップが今は見えるような気がします。

 それでは。

 

【米津玄師】『LOSER』、『Lemon』だけじゃない!〈ハチ〉時代のおすすめ良曲5選【雑記・音楽】

 

 こんにちは。ゴリラです。今回は米津玄師氏に関するお話です。

 

はじめに

 

 米津氏といえば『アイネクライネ』で注目を浴び、最近では『Lemon』がドラマの主題歌に使われるようにもなった、これからの活躍が期待されるアーティストです。

 Youtube上で『Lemon』の再生回数は1.6億回を超える驚異の数字を叩き出し、その人気の高さを物語っています。

 そんな米津氏ですが、メジャーデビュー以前はニコニコ動画Vocaloid(合成音声ソフト)を用いて音楽活動を行っていました。その時の名義が〈ハチ〉で、当時から他とは一線を画す作曲センスで大きな人気を集めていました。

 メジャーデビュー以降の曲ばかりが注目されがちですが、〈ハチ〉時代の曲には米津氏のルーツを感じさせる曲が揃っています。

 これから米津氏を詳しく知りたい方、過去の米津氏の曲を聴いてみたい方に向けて、いくつか「良いな」と感じた曲を紹介しようと思います。

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1.ワンダーランドと羊の歌

 

 

 タイトルもそうですが、どこか不思議さを感じる曲ですね。アニメーション少しジブリっぽいです。5分に満たない曲ですが、歌詞に注意を向けてみると、いろいろなストーリーや解釈が頭の中に浮かんできます。夏のお祭り加減を意識して作った曲らしく、メロディも楽器もどんちゃん騒ぎのノリのいい曲です!

 

2.clock lock works

 

 

 個人的な解釈ですが、Clock Lock Works(時計のように変化なく単調に続いていく作業)というタイトルや歌詞から、労働にテーマを置いた曲だと思っています。なんだか重くなりそうなテーマであるにもかかわらず、ポップな曲調や可愛らしいアニメーションがそれを打ち消してくれています。社会で働く人なら何か共感できる部分がありそうな一曲です。

 

3.WORLD'S END UMBRELLA

 

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 直訳すると「世界の終わりの傘」ですね。曲の内容も雨や閉鎖された空間など、陰鬱とした終末的な世界を思わせるものになっています。他のハチ作品もそうなのですが、一曲一曲に深いストーリーがあり、音楽以外の場所でも楽しめるように作られています。ちなみに、この曲には『THE WORLD END UMBRELLA』という、この曲の前身となる曲がありますが、こちらの方が米津氏の粗削りなセンスを感じれるかもしれません。

 

4.Christmas Morgue

 

 

 クリスマスの曲です。Morgueという単語には「遺体安置所、暗く陰気な場所」という意味がありますが、曲自体は非常に美しく落ち着いています。クリスマスの時期に、きらびやかな電飾や街の明かりで彩られた道を歩く、そんな気持ちにさせられる歌です。歌詞の言葉選びや繋げ方、MVとの親和性など、米津氏らしさが詰まった曲だと思います。

 

5.結ンデ開イテ羅刹ト骸

 

youtu.be

 

 かなり物々しい題名ですね。ホラーテイストな音楽に歌詞、そしてMV。これまで紹介した曲の中では断トツで不気味です。テーマは「違和感」と「無邪気」らしいのですが…いろいろと人を選びそうな、挑戦的な楽曲です。ちなみに、MVに使われているアニメーションのほとんどはハチ氏の手書きだそうです。絵の才能もあるんですね。

 

おわりに

 

 さて、いかかでしたでしょうか。一応言及はしましたが、紹介した楽曲はVocaildを用いたものなので、中には抵抗を感じた方もいらっしゃったかもしれません。それでも、これらの曲が米津氏によって生み出され、多くの人に愛されていたのは事実です。今回の記事で、そういった音楽制作の手法にも目を向けていただけると幸いです。本当に素敵な曲が多いです!ぜひ聞いてみてください!

 それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青春の刹那に潜む不可思議――ゴリラ、『六番目の小夜子』を語る【感想・あらすじ・ネタバレ】

 

 こんにちは。ゴリラです。今回は(も)恩田陸氏の小説に関する記事です。

 

 『六番目の小夜子』は恩田氏のデビュー作で、昨年復活した日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作にも挙げられたことのある小説です。発行されたのは1998年なので、今から20年前の作品ということになりますね。個人的には、学園ミステリーのジャンルの中ではかなり上位にくる面白さだと思っています。

 『夜のピクニック』を読んだときにも思ったのですが、恩田氏のどこか懐かしく繊細な文体は、学校が舞台であったり、ティーンエージャーが主役の小説によくハマっている気がします。

 本ブログで恩田氏の作品に対する感想を書くのは今回で三回目になります。彼女の作品は全て読んでいるので、これから先も恩田小説の投稿ばかりになってしまうと思いますが、まぁご容赦ください。それぐらい好きなのです。とりあえず、これまでの関連記事を載せておきます。

oniongorilla.hatenablog.com

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 それでは、あらすじから。

 

あらすじ

  

 花宮雅子が通う公立高校では、三年に一度、ある行事が行われていた。その行事では、生徒の1人が「サヨコ」に選ばれる。「サヨコ」の役割はただ一つ、誰にも自分の正体を明かさずに学園生活を終えること。もし正体がバレたら、恐ろしいことが起こる――。そして現れた謎の転校生・津村沙世子。平穏に過ぎていくはずだった高校最後の一年に、不穏な気配が忍び寄る。果たして「サヨコ」と同じ名を持つ沙世子の目的とは…。

 

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学校=ホラー&ミステリーの生まれる場所

 

 『学校の七不思議』に始まり、『学校の怪談』でもそうですが、ローカルに生まれた怖い話などがいつの間にか全国共通のものになる、なんてことはよくあります。でも、これって冷静に考えると不思議な事ですよね。

 UNOや大富豪のように地元のルールはあっても、大筋は同じで、大体皆が知っている。私も小中学生の頃は「こっくりさん」が全国の学校で流行していました。

 学校というのはある意味では閉鎖的で外界と隔絶された空間なので、退屈した怖い物好きの子供達の暇つぶしとして、生きた怪談が生成されやすいのかもしれません。それが何世代にも渡って語り継がれることで、怪談そのものにリアリティと恐怖が付与されていくのだと思います。

 子供の想像力が生み出すものとは、往々にして共通点があるのかもしれませんね。

 『六番目の小夜子』で最も大きなキーワードとなるのが「サヨコ」です。雅子の学校でもまた、「サヨコ伝説」は生徒が受け継いできた語り草であり、物語の中核を成す要素として働きます。学校中の生徒から恐れられていて、時期が来ればそのイベントは半ば強制的に発生する。なんとも怪談らしいですね。

 大抵の怪談は始まりから終わりまでが非常にシンプルに出来ていますが、「サヨコ」は違います。サヨコ伝説を完成させるためにはいくつかの行程があり、生徒同士の協力が要求されます。しかし、全員がこれまでの伝統に従って行動しているだけであって、誰もサヨコに纏わる情報の細部を知らないのです。この向こう見ずな危うさが、怪談の恐ろしさを強めています。

 やはり学校とは不思議な場所ですね。特別広くもない空間に何百人という人が集まって同じ授業を受け、学校が主催するイベントに有無を言わせず参加させられ、何気なく将来の不安やら期待やらを目の前にぶら下げられる。必要なことなのかも知れませんが、冷静に振り返ってみると、異様とまではいかずとも、どこか違和感を覚える世界でした。

 私が学生時代を過ごした学校では、残念ながら「トイレの花子さん」や「音楽室のベートーベン」程度の怪談しか噂されておらず、子供の恐怖心を煽るような刺激には欠けていました。今にして思うと、そういった状況を退屈に感じたおかげで、空想の世界を楽しめる読書にのめりこむようなったのかもしれません。確信はありませんが。

 小学校でも中学校でも高校でも、学生生活を彩る物語は偶発的に、時には意図的に生まれて後の世代に語り継がれていきます。物語が学生の手を離れて一人歩きすることもありますし、そのまま学校に溶け込んで歴史の一部になることもあります。どちらにせよ、人の生み出す物語の可能性を感じますね。 

 『六番目の小夜子』では、長い人生から見たら一瞬の、しかし色彩豊かな高校最後の一年を切り取って、その中に不可思議な物語が詰め込まれていました。不安定な年頃の高校生と姿を持たない学校の伝説との組み合わせを、恩田氏は見事に小説の型にはめ込んでいました。いつかまた、こういったスタイルの小説を書いて欲しいな、などと身勝手に望んでいます。

 それでは。

 

 

 

 

プラスチックごみに苦しめられるウミガメたち【記事翻訳】

 

 こんにちは。ゴリラです。今回はウミガメとプラスチックごみに関する記事を紹介します。

 

 先日、Youtube上であるウミガメの動画を見ました。そのウミガメは鼻の奥までプラスチック片が深く突き刺さっていて、引き抜こうとすると鳴き声を上げて苦しんでいました。

 ウミガメが鳴いているのをそのとき初めて目にしました。鼻の穴から噴き出す血を見るのに耐えられなかったので動画の途中で視聴を中断しましたが、かなりショッキングな映像でした。

 動画を見た後に、インターネットでウミガメのことを調べていると、『Theconversation』で興味深い記事を発見しました。タイトルは『How much plastic does it take to kill a turtle? Typically just 14 pieces(ウミガメ一匹が死に至るプラスチックの量)』です。この先の動物保護に役立つ記事と思いましたので、翻訳して紹介させていただきます。

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ウミガメの体内から見つかったプラスチック片:Qamar Schuyler, Author provided

 

 

プラスチックごみとウミガメ 

 

 海には大量のプラスチックごみが漂い、カメや絶滅危惧種に指定されているような生き物がそれを口にしています。消化器官がプラスチックで一杯になったカメの死体が見つかる、なんてことも珍しくはないのです。

 

 しかし、実際のところ、プラスチックを食べたせいでカメが死んでいるのかは分かっていません。死んだ時にたまたまプラスチックが入り込んだ、という可能性もあります。今回考えるべき問題は、どれくらいのプラスチックでカメが死に至るか、ということです。

 

 海に大量のプラスチックがある、という根拠だけでは、それを食べた海洋生物の死の原因を推測できないのです。仮にそうだったとしても、全ての生物がプラスチックを食べたせいで命を落とすことになるとは断定できません。カメがどのくらいのプラスチックを食べると死んでしまうのかが判明すれば、廃棄ごみに苦しむカメの数を割り出すことができます。

 

 Nature Scientific Reportsに掲載された研究では、網もしくは浜辺に打ち上げられた約1000匹分のカメの死体を調査したそうです。

 そして、カメの死の原因を注意深く調べ、カメが食べたプラスチックの欠片を数えました。

 

 調査したカメの中には、プラスチックの誤食以外の理由で死んでいる個体もいました。ボートとの衝突、釣り糸や放置された捕獲網に絡まるなど、原因は様々です。

 

 カメが誤ってヒョウモンダコを食べたせいで死ぬ、というのはよく聞く話です。しかし、飲み込んだプラスチックが内臓に突き刺さって死んだカメがいることも今回明らかになりました。

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プラスチック片の誤飲により死亡したウミガメ:Kathy Townsend, Author provided

 

 

プラスチック誤食に関するチャート

 

 前述の様に、ボートや漁獲網により命を奪われたカメもいましたが、その内臓にはやはりプラスチックが溜まっていました。これにより、動物が一体どれくらいのプラスチックをためた状態で生命活動を続けられるのかが分かってきました。

 

 この下のチャートでは、ある動物が漁獲網で溺死した場合、プラスチックが原因で死んだ可能性はゼロであるとされています(グラフ左下)。プラスチックの袋が内臓に引っかかった場合は、死亡率は100パーセントです(グラフ右上)。

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 プラスチックの誤食で死んでしまう動物たち。しかし、それだけでなくとも他の理由で死ぬケースだってあるのです。このグラフのあちこちに死の原因が隠れています。あらゆる動物をグラフ内に当てはめることで、プラスチックによる動物の死亡率の変動が分かるのです。

 

 このチャートをカメに適用すると、プラスチックによる死の可能性と内臓に含まれていたプラスチックの欠片の数には関係があることが判明しました。

 

 当たり前ですが、誤食したプラスチックの量が多いほど死亡率は上がります。体長45㎝程のカメを対象に平均を割り出すと、14個のプラスチック片を摂取した時点での生存率は50パーセントでした。

 

 これは、カメが13個までならプラスチック片を誤食しても害はない、ということではありません。1個でも死につながる可能性はあるのです。実際、調査したカメの中には1個のプラスチック片で死亡している個体もありました。内臓に突き刺さっていたり、柔らかいプラスチックが気管を塞いでいたりなどが原因です。解析によると、1個のプラスチック片を食べた時点でのカメの死亡率は22パーセントだそうです。

  

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credit:Kathy Townsend

 

 他にもプラスチックによる動物への影響の要因はありますが、若い個体が誤食をしてしまう傾向にあるようです。しかし、この傾向もカメの種類によって様々です。

 次のステップは国際的な規模でカメの廃棄ごみ摂取量を調査し、その実際の影響力を明らかにすることです。

 

 記事引用元:

 

感想

 

 消化しきれないものをお腹の中に溜め続ける、というのはどう考えても気分のいい話ではありませんし、見過ごしていい問題でもありません。技術の進歩の被害者は常に動物でした。これから、犠牲を払って推し進めた技術で動物を救っていって欲しいですね。

 それでは。

 

さんきゅうべりぃまっち、ソーリー?――ゴリラ、ロンドンを歩く【旅の思い出】

 

 

 こんにちは。ゴリラです。今回はバックパックをしていた時に立ち寄ったロンドンのお話です。

 

 前回、「もう一度行きたい場所」というお題で湖水地方について書きました。湖水地方の後でロンドンをしばらく観光しましたので、おススメの場所などを紹介していくつもりです。

湖水地方の記事です。

oniongorilla.hatenablog.

 

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 ロンドンの駅。私が改札を通り抜けられないでいると駅員さんが助けてくれました。お恥ずかしい…。

 

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  まずロンドンに入って目にしたのはこの公衆電話でした。茶色やら灰色やらの建物が多いロンドンで全体が赤の公衆電話はとても目立ちます。私としては『ハリーポッター』に登場する移動式公衆電話のイメージが強く、同じ事を考えていたであろう観光客が中に入ってそれらしい真似をしていました。

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 お次は大英博物館です。一日では回りきれないほどの面積と展示物の数を誇っています。特に注目すべきは入場料が無料、という点でしょうね。ロンドンにあるこうした教育関係の施設のほとんどが入場料を取らず、誰でも入れるようになっています。ありがたいですね。ただし、手荷物検査はありますのでご注意を。私は荷物でパンパンに膨らんだリュックを背負っていたので、検査の方にとても嫌そうな顔をされました。笑

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 おなじみの観光名物ロンドン・アイとテムズ川。川を挟んだ公園のほうがのんびり眺められます。

 

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 ビッグベンも間近で見ると大迫力でした。この辺りには交差点があって、規制はされていたものの交通量は意外と多く、ビッグベンに見とれて顔を上に向けていると結構危険です。

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 バッキンガム宮殿での衛兵交代式です。本当は宮殿そのものを近くで見たかったのですが、人の波に押されて写真は撮れませんでした。残念。

 ちなみに、交代式は行われる時間が決まっているので、見に行きたい方は事前に調べておくと無駄足にならずに済みますよ。

 

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 この人たち何があっても表情変えないんですよね~。どんな訓練してるんでしょうか。

 

 他にも街中には衛兵と写真を撮れるスポットがあったりと、観光地以外でも訪れた人を退屈させない工夫が施されていました。※観光客が集まる場所では安っぽいミサンガや自撮り棒を売りつけてくる人たちが居ます。特に日本人はよくカモにされているようです。日本語で挨拶をして油断を誘う輩もいますが、基本的には無視して大丈夫です。下手に話す素振りを見せると一気に持っていかれます。どこの観光地でも同じですが、観光客を狙った詐欺や押し売りには十分注意しましょう。

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街中を歩くだけでも異国感ありますね。

 

 湖水地方がメインの旅でしたので、ロンドンには二日しか滞在できず、心残りの多い結果になりました。もっとゆっくり時間をかけて見たかった場所もあったのですが…。近いうちにまた行こうと思います。

 それでは。